雇われ総理

こんにちは、千葉県市川市の社会保険労務士 渡辺 巖(いわお)です。 

 

先日、朝日新聞の声(読者からの投稿)を読んでいると、この国の総理のことを「雇われ総理」と呼ぶ方の投稿がありました。「雇われ」というと、かつて私が勤めていた外資系企業に新しい社長が外部から入ってくると、「雇われマダム」と先輩社員が言っていたことを思い出します。「雇われ」とは、オーナーがいる会社に社長として雇われることを指します。今であれば、プロ経営者と呼ばれる方もいますが、かつては、あまりよいイメージではありませんでした。オーナーの意向でいつでも他の人に替えられるという意味あいが強かったですね。ですから、踏み込んだ発言ができないということにもなります。必ず、オーナーの意向を尊重する(顔色を伺う)からです。

 

その「雇われ」という言葉に「総理」をくっ付けて「雇われ総理」。現在の菅総理のことです。この表現、ぴったりだと思います。どうでもいいようなことに異常なこだわりを持つ一方、重要なことは何も決められず。大きなところでは、前者については日本学術会議、後者についてはオリンピック・パラリンピックの中止でしょうか。記者会見・インタビューで自分の考えを言えないというのはまさに「雇われ」そのものです。自分の国家観もないような人が国の代表になってはいけません。「雇われ総理」のオーナーは二階幹事長でしょうか?情けないというか、「雇われ総理」には何も決められないから自分で辞めることも決められない。

 

コロナ禍において、こんな人に国の舵取りができるわけがありません。もう少し言えば、中小企業の社長も務まらないような人が国の舵取りをしている状況。記者会見で気に入らない質問があると、キレたり、全く訳の分からないことを言ってごまかして。質問に対する「雇われ総理」の回答は、就職の面接試験だったら一発で不合格。全然関係のないことを答えているのですから。こんなことが実社会で成り立つのでしょうか?いわゆる上から目線での回答です。自分で辞めることも決められないようですので、辞めざるを得ない状況にもっていくしかありませんね。情けない限りです。